資本論のための発信No9号 沖縄「資本論を学ぶ会」

  将来の社会を考えよう! 社会の矛盾に目覚めよう! 資本論を学ぼう!

 今号で、「C 一般的価値形態」、「D 貨幣形態」をもって「第三節 価値形態または交換価値」は終わります。

C 一般的価値形態

      上衣1着 

      茶10ポンド 

      コーヒー40ポンド  

      小麦1クォーター     = 亜麻布20エレ

      金2オンス 

      鉄1/2トン 

      A商品x量 

      その他の商品量 

  上記の等式を意識つつ、次の一、二、三、に進みます。

 一 価値関係の変化した性格

  「一般的価値形態」の等式を眺めて、どのような評価を下しますか?

 ①「唯一の商品で示しているのであるから、単純に表している」                          

 ②「同一商品によって示しているから、統一的に表している。⇒(から)商品の価値        形態は、単純で共同的であり、一般的である」、という評価になります。

 そうすると、ここから振り返ると、単に「第一形態及び第二形態は、二つとも、一商品の価値を、商品自身の使用価値、または ”その商品体から区別した” あるものと表現するために生じたものに過ぎなかった」。

 引き続き、第一及び第二形態の評価をします。                「第一形態」は、上衣1着=亜麻布20エレ、茶10ポンド=鉄1/2トンなどを言う。「この形態が明瞭に実際に現われるのは、ただ、労働生産物が、偶然的な、そして時折の交換によって商品に転化されるような、そもそもの端緒においてである」。   「第二の形態は、第一のそれより完全に、一商品の価値を、それ自身の使用価値から区別する」。「何故か、上衣の価値は、・・・、例えば亜麻布に等しいものとして、鉄に等しいもの、茶に等しいものとして、ただ上衣に等しいものでないだけで他の一切のものに等しいものとして、、相対するからである」。上衣は上衣と等しいというのは、無意味でしょう。                                他方の観点もあります。「例えば家畜がもはや例外的にではなく、すでに習慣的に各種の他の商品と交換されるようになると、まず拡大された価値形態が、事実上出現するのである」。第一形態の偶然的な結びつきから、第二形態の統一に向かう結びつきへ進行する!                                                         

 一般的価値形態、「新たに得られた形態は、商品世界の諸価値を、同一なる、この世界から分離された商品種で表現する」。こういうことから、何がわかるでしょうか。  ①「亜麻布で、すべての商品の価値を 亜麻布 と等しいということを示す」    ②「一切の使用価値から区別される」                      ③亜麻布、「この商品とあらゆる商品とに共通なるものとして表現される」。                          

結論は次に、「この形態に至って初めて現実に、商品を価値として相互に相関係させ、またはこれらを相互に交換価値として表われさせるようになる」。要するに一般的価値形態になりましたと理解していいか、等式を眺めて思考を巡らしましょう。             

 次は、さっき論じた「二つの形態」と「一般価値形態」との比較を論じています。「先の二つの形態は、・・・・・、いずれにしても一商品ごとに表現するのである。両場合とも、・・・、個々の商品いわば私事である。そして、個々の商品は他の商品の協力なしにこの事をなすのである。他の諸商品は、先の一商品に対して等価形態という単なる受動的の役割を演ずるのである」。商品は単なる受動的なものになるのか?      

 反して、「一般的価値形態は」「商品世界の共通の仕事としてのみ成立するのである」。これの意味するものは何でしょうか。                   最後のセンテにの文で、「すなわち、諸商品の価値対象性も、それがこれらの諸物の単なる『社会的存在』であるのであるから、その全面的な社会関係によってのみ表現されるのであり、その価値形態は、社会的に妥当する形態でなければならないという事である」。資本主義は、「価値形態」とともに、必然的に歴史的に、自ら会った搾取社会を作り上げた?

 比較した結果からは、「今ではあらゆる商品が、ただ質的に等しいもの、価値一般としてだけでなく、同時に量的に比較しうる価値の大きさとしてもあらわれる」、「すべての商品が、その価値の大きさを同一材料で、亜麻布で映し出すのであるから、これからの価値の大きさは交互に反映し合うのである」。                要するに、質と量ともに統一された「価値」が出現しました。何故資本主義は、ひち面倒臭いのだろうか、単なる歴史学では教えてくれない、労働者階級はシンプルな社会を目指すのです。

 労働に関することの論述になります。                    「商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質を押し付ける」。押し付けられた結果はどうなりますか。 「亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値形態であり、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身として、一般的な社会的な蛹化としての働きをなす。機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、他のすべての労働との等一性の形態にあるのである。一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである」。

 この「第三節 価値または交換価値」は、労働者が読むことを念頭において、形式ぽく、したことを序文に語っていました。本質は、資本主義の人間労働がいかようにされているかを深堀りすることにあったのです。                   資本論は、あらゆるところに、労働、労働力がうごめいているのです。だからこそ労働者のための「資本論」なのです。ここでの「C 一般的価値形態」の段階は、「人間労働」を明らかにしていることによって、ここだけで貨幣はどのように生まれたかを、明らかにしたも同然と言えると思います。

 ここはとても重要と思われるカ所なので、引用でうめていきます。「このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態と有用なる属性とから抽象された労働として、単に否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的性質が明白に現れるのである。それはすべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働の支出に、約元したものなのである」。        「このようにして、一般的価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示するのである」。     「一 価値形態の変化した性格」とは、労働の性格だったのです、ここで意味がわかりましたね。重要なところは長くなります、辛抱強く、一歩一歩づつ。

二 相対的価値形態と等価形態の発展関係

 発展関係は次のような流れで進行する。                            「相対的価値形態の発展程度に、等価形態の発展程度が応じる」。           「等価形態の発展は相対的価値形態の発展の表現であり、結果であるに過ぎない」。

①「商品の単純なまたは個別的な相対的価値形態」⇒「他の一商品を個別的な等価」                                     ②「相対的価値の拡大された形態」⇒「各種の特別な形態を刻印する」       ③「ある特別な商品種」⇒「一般的等価形態を得る」「統一的一般的な価値形態の材料」

 受け身の等価形態と思われたが、「対立もまた発展する」。           〇「すでに第一形態 亜麻布20エレ=上衣1着 が対立を含んでいる」「しかし固定していない」「両極的対立を固着せしめるのに骨が折れる」             〇「第二形態 ⇒「まだ各商品ごとに、相対的価値を全体として拡大しうるのみ」「もはや価値方程式ーーー亜麻布20エレ=上衣1着または茶10ポンド などーーーの両項を移し換えると、その性格を変更し、これを総体的価値形態から一般的価値形態に転換させてしまう他はないことになる」。                       〇「最後の形態である第三形態」⇒「ついに商品世界に対して一般的社会的な相対的価値形態を与える」「亜麻布は、他のすべての商品と直接的な交換可能性の形態に、直接に社会的な形態にある」。                           〇「逆に、一般的等価という役割を演ずる商品は、商品世界の統一的な、一般的な相対的価値形態から排除される」。                         ここで、「亜麻布が、一般的等価形態にある何らかのある商品が、同時に一般的相対的価値形態にもなるとすれば」、それは「亜麻布20エレ=亜麻布20エレという式を得る」「これは内容のない繰返しであって、価値も価値の大きさも表現されていない。一般的等価の相対的価値を表現するためには、むしろ第三形態をひっくり返さなければならない」。ひっくり返す以外に、貨幣形態に進行する方法は存在しないのでしょう。

三 一般的価値形態から貨幣形態への移行                    

〇「除外」することによって、「貨幣形態」が現れてくる。次の引用で確認します。「一般的等価形態は価値一般の形態である。それはどの商品にも与えられることができる」。具体的に進めて、「一商品は、それがすべての商品によって等価として”除外”されるために、そしてその限りにおいてのみ、一般的な等価形態(第三形態)にあるのである」。                                   〇この除外が、終局的にある特殊な商品種に限定された瞬間から、初めて商品世界の統一的相対的価値形態が、客観的固定性と一般的に社会的な通用性とを得たのである」。とてつもなく広い商品世界の中から、「一商品」が「特殊な商品種」を絞り込んだのです。                                     〇次は金が貨幣になることを引用します。「特殊なる商品種」⇒ 「等価形態がその自然形態と社会的に合成するに至って、貨幣商品となり、貨幣として機能する」。   〇この「貨幣商品」は何ものになるのか。「商品世界内で一般的等価の役割を演ずることが、この商品の特殊的に社会的な機能となり、社会的独占となる」。       〇「独占」物は何者か。「この特別の地位を、第二形態で亜麻布の特別の等価たる役を演じ、また第三形態でその相対的価値を共通に亜麻布に表現する諸商品のうちで、一定の商品が、歴史的に占有したのである。すなわち、金である」。        「金」までたどり着くまで、長い長い道でした。

 

D 貨幣形態

 すべての商品量=金2オンス という等式に代わった世界を見る。       D=第四形態=第三形態=異なるところはない=一般的等価に留まる。       違うことは、進歩 ⇒「直接的な一般的な交換可能性の形態」「一般的な等価形態」 ⇒「社会的習慣によって」⇒「終局的に商品金の特殊な自然形態と合成してしまった」。                                    「しまった」とは何ですか。いやこれは歴史というものでしょう。すべからく人類がやり出したというしか、私には言えません。あしからずすまんな~。

 ヒントと言えるかわからないが、あなたにとって、「金が他の商品に対して貨幣としてのみ相対するのは、金がすでに以前に、金も、個々の交換行為において個別的の等価としてであれ、他の商品等価と並んで特別の等価としてであれ、とにかく等価として機能した。しだいに金は、あるいは比較的狭い、あるいは比較的広い範囲で一般的等価として機能した。金が、商品世界の価値表現で、この地位の独占を奪うことになってしまうとそれは貨幣商品となる。そして金がすでに貨幣商品となった瞬間に、やっと第四形態が第三形態と区別される。言い換えると一般的価値形態は貨幣形態に転化される」。

 価格形態 ⇒ 亜麻布20エレ=金2オンス または 亜麻布20エレ=2ポンド

 さ~ 「第三節 価値形態または交換価値の最後の文章を聞こう。       「貨幣形態という概念の困難は、一般的等価形態の、第三形態の理解に限られている。第三形態は、関係を逆にして第二形態に、拡大された価値形態に解消する。そしてその構成要素は第一形態である。すなわち、亜麻布20エレ=上衣一着 または A商品x量=B商品y量である。したがって、単純なる商品形態は貨幣形態の萌芽である」。

 だから言っただ~、「貨幣」とは「単純なる商品形態」に「萌芽」また「萌芽」と潜んでいるんだと、創造逞しく想像し、「貨幣」への物語を一瞬にして、理解することができるなら、これほど愉快な楽しいことがあるだろうか、すべての労働者が知るということができるなら、すべからく闘いも大いに楽しいものになるだろう。なぜなら、資本の源があおこにあるから、明らかになるから、だが闘いはまだまだ続くのです。

「金2オンス」の物語よりも、厳しい闘いが待っています。「第四節 商品の物神的性格とその秘密」です。あなたは秘密をこじ開けて、理解することができるだろうか。ちょっと辛抱して読みさえすれば、できるだろう。