資本論のための発信第6号 沖縄「資本論を学ぶ会」

  将来の社会を考えよう! 社会の矛盾に目覚めよう! 資本論を学ぼう!

 資本論に入る前に、newsを。リクルート研により、40年に労働者の供給不足が1100万人超になるとの予測が発表されました。深刻な18都道府県のうちに京都、愛媛、北海道、静岡、愛知、滋賀、も挙げられていて、どちらも製造業の盛んな県です。それに反し、鳥取、香川は、不足率0.9、1.6%で生産活動が縮小し労働力自体が減り、産業が弱体な我が沖縄は17.5%になるらしい。全体は20年7500万人から40年6000万程と予測されいます。高度成長から低成長を経て、がた落ちの上、労働力減少の追加、果たして1000万人をロボットに置換える産業革命に至らす条件は残っているだろうか?

 今回は、三 等価形態です。

 等価形態の説明は、第一特性、第二特性、第三特性に分かれます。

第一の特性に関する説明

 「亜麻布は自分自身であることを、実際には上衣が直接に自分と交換しうるものであるということを通じて表現するものである。一商品の等価形態は、この商品の他の商品に対する直接的な交換可能性の形態である」1para

 「もし上衣というような一商品種が、亜麻布のような他の商品に対して、等価として用いられるとしても、上衣が亜麻布と直接に交換しうる形態にあるという独特の属性を得るとしても、これによって、上衣と亜麻布と直接に交換しうる形態にあるという形態にあるという独特の属性を得るとしても、これによって、上衣と亜麻布とが交換されうる 割合 も与えられているという訳ではない。この割合は、亜麻布の価値の大きさが与えられているから、上衣の価値の大きさにかかっている。・・・。その価値の大きさは価値方程式において、むしろただ一物の一定量のとして現れるだけである」。2para

 「2着の上衣は、40エレの亜麻布の価値の大きさを表現することができるが、自分自身の価値の大きさを、表現することはできないのである。・・・。一商品の等価形態は、むしろ何らの量的価値規定をも含んでいないのである」3para

◎「等価形態の考察に際して目立つ第一の特性は、このことである。使用価値がその反対物の現象形態、価値の現象形態となるということである」。4para

次は第二の特性へ突入します。

 「商品が自然形態が価値形態となる」                    「しかし、注意すべきは取り違え」に関して、「商品B(上衣)にとっては、ただ他の適宜な商品A(亜麻布)が自分に対してとる価値関係の内部においてのみ、おこることなのである」 ⇒「このような商品は、他の商品を等価として、これに関係しなければならぬ」5para

 「度量衡の例」から。「鉄なる物体が、重量尺度として砂糖塊に対して、ただ重さだけを代表しているように、我々の価値表現においては、上衣体は亜麻布に対して、ただ価値を代表するだけである」6para

 「鉄は砂糖塊の重量表現で、両物体に共通なる自然属性、それらの重さを代表したのであるが、他方の上衣は亜麻布の価値表現において両物の超自然的属性を、それらのものの価値を、およそ純粋に社会的なものを、代表しているのである」。ここは、貨幣・金への道を予感させる文章です。7para

 「亜麻布の相対的価値形態」は、上衣等しいものとして表現しているが、表現そのものが社会関係を隠して”おもて” に出ない。                  「等価形態であるゆえんは、まさに一商品体、上衣があるがままの物として価値を表現し、自然のままのものして、価値形態を持っているということの中にあるのである」。「ありがまま」「自然のまま」とは、天然に持っている」「重いとか温かいという属性」を言う。「このことから等価形態の謎が生まれるのであって、それは、この形態が完成した形で貨幣となって、経済学者に相対するようになると、初めてブルジョア的に粗雑な彼の目を驚かすようになる。・・・。彼は、亜麻布20エレ=上衣1着というような最も簡単な価値表現が、すでに等価形態の謎を解くように与えられていることを想像してみないのである」8para

 「具体的労働は、抽象的に人間的な労働の表現となる」ということの意味を考えよう。「上衣が抽象的に人間的な労働の単なる実現となっているとすれば」と仮定し、裁縫(B)は抽象人間的労働の単なる表れとしか見られなていないとします。     今度は亜麻布の現れ方・表現は、「裁縫の有用性」に現われる。「裁縫が衣服を作り」「一つの物体を作ることにある」とする。それは具体労働生産物のイメージではない?

物体は、抽象的に現れるのでしょうか。                    「この物体に対して、人は、それが価値であるという風に亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない労働の凝結物であるという風に見なしてしまうのである」

「このような一つの価値鏡を作るために、裁縫自身は人間労働であるというその抽象的な属性以外には、何物を反映してはならない」。9para

 価値生産と価値表現、区別を論じる。

価値生産について、裁縫の形態、機織の形態の「両者は人間労働の一般的な属性を持っている」、この場合はこの観点から考察しよう。    

価値表現では、「事柄は歪められる」とは何か。                「機織が機織としての具体的な形態においてではなく、人間労働としてその一般的な属性において、亜麻布価値を形成すると言うことを表現するためには、機織に対して裁縫が、亜麻布等価物を作り出す具体的労働が、抽象的に人間的な労働の掴みべき実現形態として対置されるのである」。                         具体的労働と抽象的人間労働を対比し深めたことがいいのです。それにしても人間たるものが、抽象的人間労働の祭り上げられて、搾取へ引っ張り込められ、それによって労働者は搾取の目隠しされ、ここから始まっているのだろうか?10para

◎「それ故に、具体的労働がその反対物、抽象的に人間的な労働の現象形態となるということは、等価形態の第二の特性である」。第二特性の終わりです。

◎具体的労働、私的労働、社会的労働、から第三特性は至るのは、クライマックス。「この具体的労働、裁縫は無差別ば人間労働の単なる表現として働くことによって、他の労働、亜麻布に潜んでいる労働と等一性の形態を持ち、他の一切の商品生産労働と同じように私的労働であるが、直接に社会的な形態における労働である。まさにこのために、この労働は、直接に他の商品と交換しうる一つの生産物に表されている。このように、私的労働がその反対物の形態、直接に社会的な形態における労働となるということは、等価形態の第三の特性である」。                     「等価形態」は、第三特性を述べるに尽きるだろう。よくも面倒くさい抽象を解き明かしたものだ。なければ後2000年も無知蒙昧の世界が続くことだろう。マルクスよ、満身創痍でよくやったり。アリストテレスを持ち出さなくても、労働者なら理解してくれるだろう、労働者魂さえあれば、読みさえすれば、労働者階級は前進する。

 次回は、「四 単純な価値形態の総体」をおこなう。Aの総括文章になりますか?