資本論のための発信No1号 沖縄「資本論を学ぶ会」

 将来の社会を考えよう! 社会の矛盾に目覚めよう! 資本論を学ぼう!

 

労働者に対する搾取はどこから来るのですか? なぜ資本は歴史に現われたのですか?

資本とは何ですか? 資本は何を求めているのですか? 究極の目的は剰余価値です!

 剰余価値はどのようにして生まれるのですか? 生産手段と労働力を合体させて生産物を生み出し、そのなかに剰余価値を潜ませ、生産するために消費した生産手段の減耗分、資材など費用を、商品として売り出されたとき剰余価値が実現されることになります。生産手段は物理的な機械にすぎません。それにかかる維持費用は価格として補填されるに過ぎません。機械だけでは剰余価値は生まれません、ちまたでは資本と呼ばれています。動かない機械からは剰余価値はビタ一文出てきません。当たり前の馬鹿なことを言っていると思いでしょうが、ならば資本家にとって必要なものは何でしょうか。この資本主義社会では馬鹿な人間でも誰でも判り切ったことです。古代、封建時代には居なかった労働者なのです、いやだが政治的自由を獲得した社会のなかで、生身の人間、労働者を引っ張って来て「こき使う」ことができないはずです。資本家が欲しがるのは1日のうち何時間が働いてもらうことで、あなたの労働力を時間当たりで契約しますよと、奴隷市場ではなくて労働市場に出向くのです。さすれば労働者は寄って来て働きますと、平等という名の契約を結ぶことで安堵の心で生きるということになるのです。

ここで疑問を提示することは、政治的平等が与えられた素晴らしき社会と、憲法には人間として最低限の生活保障とか素晴らしいことが書かれていますが、なぜ人間が「労働賃金」を受取る生活を余儀されるのか? なぜこれが当たり前と思うのか。要するに労働者は「労働力」以外の生きるための「物」は何一つ持っていない。どうして「労働力」を「売り買い」するものに成り下がるのですか。資本家は腹黒く、よく知っているのです、資本とは剰余価値を利潤を産みだしてくれる「労働力」こそが「資本」なのだということを、最新鋭の機械をサビないように「労働力」を指揮監督し、「資本」の維持管理を、つまり社会をも維持管理しているのです。さらに「生産手段」を資本家が独占しているのですか? と提示しておきます。

 資本主義生産体制の矛盾、例えばなぜ人間が「賃金労働」でなければならないのか、疑問を疑問とも思わない人々、労働者の中にもいるであろう人々にも問いを発信続けます。材料はマルクス資本論を学ぶことを通してやっていきます。「資本論を読む会」を組織することも考えています。資本論を読んでみたいと希望する人を歓迎します。

{資本主義生産によって人類の「生産力」を高めた歴史的意義とともに、これ以上の利潤目当ての生産力の発展は限界にある、今まさに死滅しつつある資本主義生産体制を歴史から除かない限り、人類は生きられるであろうか!}