資本論のための発信No3号 沖縄「資本論を学ぶ会」

将来の社会を考えよう! 社会の矛盾に目覚めよう! 資本論を学ぼう!

 資本論は、第1巻「資本の生産過程」、第2巻「資本の流通過程」、第3巻「資本の総過程」が論じられています。第1巻はどのようにして生まれるのか、を解き明かします。まず第1巻の中で、特に「価値論」は重要であり、理解を深める必要があります。始めるにあたって、第1版の序文から学ぶヒントを紹介しましょう。

 

 「何事も初めが難しい、という諺は、すべての科学にあてはまる。第1章、特に商品の分析を含んでいる節の理解は、最大の障害となるであろう。そこで価値実体と価値の大きさとの分析をより詳細に論ずるにあたっては、私はこれをできるだけ通俗化することにした。完成した態容を貨幣形態に見せている価値形態は、極めて内容に乏しく単純である。ところが、人間精神は2000年以上も昔からこれを解明しようと試みて失敗しているのに、他方ではこれよりはるかに内容豊かな、そして複雑な諸形態の分析が、少なくとも近似的には成功しているという訳である。なぜだろうか? 出来上がった生体を研究するのは生体細胞を研究するより優しいからである。その上に、経済的諸形態分析では、顕微鏡も科学的試薬も用いる訳にもいかぬ。抽象なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。素養のない人にとっては、その分析はいたずらに小理屈をもてあそぶように見えるかもしれない。事実上、この場合の関わるところは細密を極めている。しかし、それはただ顕微鏡的な解剖で取扱われる問題が同様に細密を極めるのと少しも違ったところはない。価値形態に関する節を除けば、この書には難解だという非難を受けるようなところがあるとは思えない。私はむろん何か新しいことを学び、したがってまた、自分で考えようと志す読者を想定しているのである。

 

 「起こりうる誤解を避けるために一言しておく。私は、資本家や土地所有者の姿を決してバラ色の光で描いていない。しかしながら、ここでは、個人は経済的範疇の人格化であり、一定の階級関係と階級利害の担い手である限りにおいてのみ、問題となるのである。私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしてしようとするものではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟(ひっきょう)その造出物に他ならないものであるからである」。

 

 第1章の商品の構成は、第1節商品の二要素、第2節商品に表せられた労働の二重性、

第3節価値形態または交換価値、第4節商品の物神的性格とその秘密、によって構成されている。

 資本論は、商品の二要素、使用価値と交換価値を明らかにすることから始めますが、その前に商品の分析を行う理由を次のように説明している。

 「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、『巨大な商品集積』として現われ個々の商品はこの富の成素形態として現れる」からとする。

 次に商品とは、「人間の何らかの種類の欲望を充足させる一つの物である」「鉄、紙などのような一切の有用なる物は、質と量に従って二重の観点から考察されるべきである」「色々な方面に役に立つことができる」「有用なる物の量を測る社会的尺度を見出すこと」、などと表現しています。

 

 そこから「使用価値」とは何であり、どのような「物」なのかを明らかにします。 使用価値にするものは、「一つの物の有用性」、「商品体の属性によって限定されていて、商品体なくして存在するものではない」、「商品体自身が鉄、小麦、ダイヤモンドなどと言うように」、「使用価値を考察するに際しては、常に1ダースの時計、1エレの亜麻布、1トンの鉄などと言うように、確定した量が前提される」、「使用価値は使用または消費される事によって実現されっる」、「使用価値は素材的内容をなしている」「これから考察しようとしている社会形態においては、使用価値は同時にーー交換価値の担い手をなしている」、と多様な説明がなされています。

 

 次に「交換価値」についての説明です。詳細説明の前に簡単な説明を行っています。「交換価値は、ある種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される比率として、時と場所に従って、絶えず変化する関係する関係として現れる」とし、それから詳細説明に入ります。扱われる商品は、1クォーター小麦、x量靴墨、y量絹、z量金、などです。交換価値の説明の流れを記述に従い順序よく行い、じっくり考えながら内容を把握します。

 「雑多な割合で交換される」⇒「x量靴墨などは相互に置換えできる価値」    ⇒「同一の妥当なる交換価値は一つの同一物を表す」               ⇒「交換価値はそもそもただそれと区別されるべき内在物の表現様式、『現象形態』であるにすぎない」                               ⇒「二つの商品、例えば小麦と鉄とをとろう」⇒「一つの方程式として表す」    ⇒「与えられた小麦量は、何らかの量の鉄に等置される、例えば1クォーター小麦=aツェーントル鉄に」                              ⇒「この方程式は何を物語るか?」⇒「二つの異なった物に、1クォーター小麦にも、aツェントネル鉄にも、同一大きさの共通なものがる」⇒「二つのものは第三のものに等しい。この第三のものは二つのもののいずれでもない」             ⇒「両者のは交換価値である限り、第三のものに整約されるものでなければならない」⇒「商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象である」                                 ⇒「交換関係の内部においては一つの使用価値は、他の各使用価値と適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる」                  ⇒「使用価値としては商品は、異なれる質のものである」             ⇒「交換価値としては商品は量を異にするだけのものであって使用価値を含んでいない」                                     ⇒「もし商品体の使用価値を無視するとすれば、諸品体に残る属性はただ一つ労働生産物という属性だけである」                           ⇒「使用価値から抽象するならば、労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象することになる」                       ⇒「それはもはや、有用な何物でもなくなっている。すべての感覚的性質は解消している。それはもはや、指物労働の生産物でも、建築労働や紡績労働やその他何か一定の生産的労働の生産物でもない。労働生産物の有用なる性質とともに、その中に表されている労働の有用なる性質は消失する」                       ⇒「これらの労働の異なった具体的な形態も消失する。それらはもはや相互に区別されることなく、ことごとく同じ人間労働、抽象的に人間的な労働に整約される」    ⇒「労働生産物の残りを調べてみよう」                     ⇒「無差別な人間労働の、言い換えればその支出形態を考慮することのない、人間労働力支出の単なる膠状物(こうじょうぶつ)という以外に、労働生産物から何物も残っていない。これらの物はただ、生産に人間労働力が支出されており、人間労働が累積されているということを表しているだけである」                   ⇒「これらの物は、お互いに共通な、社会実体の結晶として、価値ー商品価値である」

 長々と流れを追い、使用価値から抽象し、抽象し尽くして、抽象的人間労働、これが交換価値です、と辿り着きました。引き続き「交換価値」とはな何かの後半部分を追いかけます。

⇒「このようにして、一つの使用価値または財貨が価値を持っているのは、ひとえに、その中に抽象的に人間的な労働が対象化されているから、または物質化されているからである」                                   ⇒「財貨の価値の大きさはどうして測定されるか?」               ⇒「その中に含まれている『価値形成実体』である労働の定量によってである。労働の量自身はその継続時間によって計られる。そして労働時間には、また時、日などのような一定の時間部分として尺度標準がある」                    ⇒「個人的労働力の各々は、それが社会的平均労働力の性格をもち、またこのような社会的平均労働力として作用し、一商品の生産においてもただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間のみを用いるという限りにおいて、他のものと同一の労働力なのである」                                   ⇒「社会的に必要労働時間とは、社会的に正常な生産条件と労働との熟練と強度の社会的平均度をもって、何らかの使用価値を造り出すために必要とされる労働時間である」⇒「そんなわけで、ある使用価値の価値の大きさを規定するのは、ひとえに社会的に必要な労働の定量、またはこの使用価値の製造に社会的に必要な労働時間にほかならないのである」                                  ⇒「同一労働時間に制作される商品は、同一の価値の大きさをもっている。ある商品の価値の他の商品のそれぞれの価値に対する比は、ちょうどその商品の生産に必要な労働時間の、他の商品のそれぞれの価値に対する比に等しい」             ⇒「価値としてはすべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない」                                     ⇒「この労働時間は、労働の生産力における一切の変化とともに変化する」     ⇒「労働の生産力は、種々の事情によって規定される」              ⇒「一般的に言えば、労働の生産力が大であるほど、一定品目の製造に要する労働時間は小さく、それだけその価値も小さい」                     ⇒「逆に、労働の生産力が小さければ、それだけ一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい」                       ⇒「従ってある商品の価値の大きさは、その中に実現されている労働の量に正比例し、その生産力に逆比例して変化する」

 後半部分で協調することは、「価値の実体を成す労働」とは何か。それは「等一の人間労働」「同一人間労働力の支出」「社会的平均労働」「社会的に必要な労働の定量」「社会的に必要な労働時間」「凝結せる労働時間の一定量」と表現される。次回は、「第2節商品に表された労働の二重性」を行います。